丸い空間

「やだ、雨が降ってるじゃない！」
突然の豪雨に勤務に当たっていた人たちで集まって窓の外を見た。
あたしとしては雨が強い日ほど入江くんからプロポーズされた日を思い出すんだけど、さすがにもうすぐ帰れるのにこの雨は嫌だなぁ。
いつから降っているのか分からないけれど、これじゃあ今日の天気予報は大外れ。
雨だと思っていなかったから、レインブーツはもちろん、傘すら持ってきていない。
皆そうだったんだろう、嫌そうに眉をしかめながらちらちらと祈る気持ちで窓の外を見ていたけど、雨は結局仕事中に止むことはなかった。

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重い足取りでロッカーに向かう。
そういえば今日の服は一目ぼれして購入したばかりのワンピースだと思ったら更に気が重くなった。
入江くんと帰れたらもしかしたら入江くんが折り畳みくらい持っていたかもしれないけど、入江くんはもう帰っちゃってる。
一応と帰り際に確認したけど、医局にももう姿はなかったし。
モトちゃんも智子も時間帯が違うし、真里奈も今日は休みだし。
はぁともう一度大きな溜息をつくと鍵を差し込んでロッカーの鍵を開けた。

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「うそっ！」
狭いロッカーの中、奥に押し込まれた柄に気づいて、思わず声を上げた。
赤いチェックのお気に入りの傘がロッカーの中にあった。
置き傘をした覚えがなくて、しばらく固まっちゃったけど、すぐに朝雨が降っていた日に持って帰るのを忘れたことに気づく。
折りたたみもないと思っていたのに、お気に入りの傘があるなんて！
嬉しくて思わず微笑みながら、あたしは真新しいワンピースに腕を通した。
ふんふんと鼻歌まで歌いながら傘を片手に少し薄暗い院内を歩く。

今日は雨だからか外来の患者さんも少なくて、幸いなことに大きな事故も起きてない。
静かな中、雨音を聴きながら歩いていると社員用の玄関に人影が見えた。
背の高いすらっとした背中に飛びつきたい衝動に襲われる。

「入江くん！」
「…琴子。」
「まだ病院にいたの？」

さっき医局まで会いに行った時はいなかったのに！
どうしたの？と顔を覗き込むと、入江くんはあたしの背後に視線を送った。
ん？と首を傾げるけど、入江くんの表情は変わらない。

「ちょっと調べ物をしてたんだよ。」
「そうなんだ！もう帰るんでしょ？一緒に帰ろう。」
「ああ。じゃぁ帰ろうぜ。」

嬉しくて腕に飛びつこうとしたけど、入江くんは黒いシンプルな折り畳み傘を広げて先に外に出た。
慌てて赤い傘を広げる。
せっかく見つけたお気に入りだけど、傘を広げると少し入江くんが遠い。
入江くんがいるなら見つからなくてもよかったのに、つい思ってしまいながらあたしも目の前にあった大きな水溜りを避けて一歩外に出た。
とたん傘に雨粒が跳ねる。
この調子なら止みそうにないから二人とも濡れないためにはこれが一番。
少し寂しいけどどんどん先を歩いていく入江くんの背中を見ながらそう納得しようとした時に傘に何かがぶつかった。

「お先に！」

さっと視界に黒いものが過ぎる。
啓太、今日同じシフトだったんだ。
水滴をかけちゃったと思うけど、啓太は気にしてない。
傘は持ってなくて、頭の上にファイルみたいなものを掲げている。

「啓太！」

さっさと走っていこうとする啓太に思わず声をかけた。
雨の中振り返る啓太の肩はちょっと濡れてて寒そうだった。

「啓太の家駅から遠いでしょ？この傘使って！」

思わず傘を差し出すけど、啓太は少しだけ目を見開いて首を横に振った。

「そしたら琴子が濡れるだろ。いいよ。女物なんて恥ずかしいし。」
「でも風邪引くよ？じゃあコンビニで傘買ったら？そこまで入れてってあげるよ。」

あたしの傘。
２人で入るのは狭いけど、ファイルよりはましだもの。
背の高い啓太を入れてあげようと腕を伸ばしたら、それよりも早く啓太の頭の上に黒い傘が差し出された。
遮られた雨粒に啓太が後ろを向く。

「入江くん！」
「鴨狩、これ貸してやるからこれで帰れよ。」
「でも」戸惑う啓太に握らされる折り畳みの丸い柄。

「俺は琴子と一緒に帰るから。」

傘がなくなって少しだけ濡れながらも入江くんが屈んで私の傘に入ってきた。
入江くんの髪が頬に触れて、自分でも顔が赤くなっているのが分かる。
目の前の啓太も赤くなって入江くんに持たされた傘をしっかりと持っていた。

「ほら、琴子。一緒に帰るならぐずぐずすんなよ。」

背の高い入江くんには狭かったのか私の手から傘が奪われる。
女性用の傘は小さくて、肩がぶつかっていたのにまだ左肩が濡れた。
それに気づいて入江くんが腰を抱いて自分に引き寄せてくれる。
雨の中暖かい入江くんの体温に眉が下がる。

「じゃぁな、鴨狩。」

入江くんが啓太に挨拶をしたけど、啓太も私も挨拶できなかった。

新しいワンピースとお気に入りの傘。
隣には入江くん。

今日のあたしは最高にラッキー！

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琴子ちゃんの視点で。
たぶん初ですかね。

雨の日アップを狙ってましたけど、最近忙しさですぐ忘れてしまうので…。