stay with me ８

不破にも話を、とは言われたものの琴子は戸惑いを隠せないでいた。
当の不破はといえば入ってくるなり怪訝な顔をしたと思ったらそばに近寄ってくる気配もない。
「不破。」と大泉会長が声をかけてようやく、琴子の向かい、会長が座るソファーまで寄って来た。


「こちらはパンダイの相原琴子さんじゃ。」紹介を受けて慌てて腰を上げる。
「パンダイ…ですか。」不破はその会長の説明に微かに眉を上げた。
不審そうにしながらも仕事だと判断したのだろう、スーツの胸ポケットからシンプルな銀の名刺入れを取り出すと、そこから一枚の名刺をすっと琴子に差し出す。
流れるように無駄のないしぐさに思わず見とれてしまい、慌てて名刺を受け取って、形ばかりに用意された自分の名刺を取り出した。
もたついて、いかにも不慣れな琴子の様子に気がついているだろうに、不破は表面上目立った変化を見せない。
それを確認して、琴子は誤魔化すように微笑むと受け取った名刺を見た。

肩書きの部分には大泉の関連企業なのだろう、琴子には分からないような立派な肩書きが並んでいた。
中央には太字のゴシック体で名前が入っている。

苗字が不破であるのは何度も聞いて琴子も知っていた。
名前は…
「不破、万理（マリ）さん！相原琴子です！よろしくお願いします。」
にっこり笑顔を乗せる。
「万理（バンリ）です、相原さん。」
琴子の言葉尻に被るように不破が否定した。
琴子が勢い込んで言い切った分だけ、空気が冷えているように琴子には思える。

目の前にいる不破は笑っているのに、目だけは全く笑ってはいない。

「あ、あの、私、マリって友達がいて！それで…。」

ええっと、と焦って言い募る琴子に不破が口元を上げて笑った。

「別に。気にしていませんよ。そういう風に言う人、たまぁーにいらっしゃいますから。」

気にしていないという割にはたまぁーにと伸ばした言葉の節々に棘があるように感じる。
この一瞬でF組であることが見抜かれた気がして、琴子は肩をすくめて小さくなった。
その様子を見て大泉会長が琴子の隣で笑っている。
それが一層琴子には辛い。
首が埋もれるほど肩を上げて不破を盗み見ると、少し眉をひそめた目と視線がかち合った。

直樹とは違う、むっとした目。
ばーかと舌を出されるようなことがないだけましかも知れないが、会長がいなければそれも怪しいかもしれない。
どっちにしてもこのことが直樹の耳に入ったら遠からず馬鹿にされるだろうと思い当たった琴子は何か起死回生の一手がないかと目を光らせた。

隙のない細身のスーツ姿に高級品だろうと思われる腕時計。
直樹ほどではないが、この不破という男もきっと女性にもてるのだろうと思われて琴子は目を細めた。
口では全く勝てる気がしない。
勝手に自分を追い詰めて煮詰まる琴子を見かねたのか、大泉会長がこほんとひとつ咳払いをした。

「さぁ、お客様も揃ったことだし、お茶を淹れなおそう。」

琴子たちに着席を促し、メイドに指示を出すと扉の脇に控えていたメイドが近寄ってきて新しいお茶を淹れていく。
柔らかいソファーに再度腰を預け綺麗に澄んだ琥珀色のお茶を見ていると少し心が落ち着いた。
それは不破もそうなのか、大泉に促されて琴子の斜め向かい、大泉の隣に腰を下ろした後は眉間の皺も薄れている。
両手で包むようにして華奢なカップを持つと良質な茶葉の匂いがした。

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「社長代理、ご依頼の大泉グループに関する資料、ご用意できましたが…。」
「ああ。そこに置いておいて下さい。」

パンダイの本社ビル。
重樹の代理として会社に入った直樹は、重樹が使っていたデスクをそのまま自分のデスクとして使用していた。
大きな机に秘書が社外秘と書かれたファイルを置く。
安物の半透明のファイルではない、重要書類を納めるファイルは重厚感を伴って机の上に鈍く鎮座していた。